立川談志さん

立川談志氏が喉頭癌のため一昨日永眠されました。
立川談志といえば、私の場合は「笑点」です。私が子供のころ、初期の司会をしていましたが、大人になってみて、笑点の 発起人というか創設者だったということを知りました。そうだったんですね。
さて、談志さんを偲んで、昔の仲間に送った日記的メールからお話を引用します。
お笑い系のネタですが、それがふさわしいのでは、と思いまして…
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「選挙1:なぞかけ」(2011-01-28記)
先日,商店街の新春寄席で立川談奈という噺家(二つ目:立川談志の孫弟子)の落語を聞きました。
その枕で,立川談志が今を去ること40ン年前に国会議員の選挙に出た頃の話しを聞きました。
参議院で当選する少し前に衆議院選に出馬したそうです(1969年のことです)。当時としてはタレント議員の走りだったそうで,落語会で応援したそうです。
三遊亭円楽師匠が応援演説に行き…
「立川談志とかけて
 ロウソクと解く,その心は
 身を削って世の中を明るくします」
…となぞかけをやったそうです。
でも,毎回同じネタだったそうです。いい加減変えないとと円楽さんも思ったそうで,「おまえ達も弟子なら考えろ」と円楽さんから宿題が出たそうです。
それで,立川談志の弟子達は考えました。そのとき,「はい」と手を挙げたのが,立川左談次(談奈の師匠)だったそうです。
彼は…
「立川談志とかけて
 石鹸と解く,その心は
 身を削って世の中を綺麗にします」
…というのを考えついたんだそうです。
「それいいね」と円楽さん,早速次の応援演説から使いました。
でも,本番の応援演説で,トチったそうです。
「立川談志とかけて
 石鹸と解く,その心は…
 汚れをよく落とします」
…それが災いしたのか,落選してしまいました。
その2年後の1971年に参議院選挙に全国区か出馬し初当選いたしました。
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「選挙2:連呼」(2011-01-27記)
1969年に立川談志が衆議院選挙に出馬しました。
このとき、応援演説に来た林家三平は「どうもすいません、三平です。
三平がやってまいりました」と連呼し、
開票で三平に二十何票入っていたとか。
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以上です。
今は円楽さんも、三平さんもみな故人ですね。
談志師匠のご冥福をお祈りいたします。
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松山 眞千
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2 Replies to “立川談志さん”

    1. hashibenさん
      コメントありがとうございました。
      またお立ち寄り下さい。
      とど(松山)

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